しぃせんたけだHP
コメント、どんどんお書きください。ネチケット違反は即刻削除です。また当HPの内容が取り上げられてない記事のトラックバックも削除対象です。携帯版のアドレス→http://simeji74.blog8.fc2.com/?m

プロフィール

しぃせんたけだ

  • Author:しぃせんたけだ
  • 1974年生まれ。163cm、63kg。現在草野球を時折やっております。ポジションはピッチャーか内野。学生時代などに部活等でチームに入っての野球経験はありません。プロ野球は千葉ロッテファン。次いでホー



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



黒猫clock



天気予報


-天気予報コム- -FC2-






管理人へのメールはこちら

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


私はもっと「サード・中畑」が見たかった (1)

 私はもっと「サード・中畑」が見たかった・・・。
 
 1981年のシーズン、それは新しい時代が来るんだと、予感をせずにはいられない年だったように思える。前年限りで王、高田が引退、そして長嶋監督が解任。V9戦士は、柴田や堀内等、若手では河埜などまだいるにはいたが、ONの退き(王は翌年から助監督になるが)は、我々に否応無しに時代の変革を感じさせた。

 1980年のドラフト会議。話題はプリンスホテルの好選手石毛と、東海大の「アイドル」原辰徳。石毛は半ばレールに乗った形で西武に入団。話題の焦点は原だった。原自身は地元の大洋か、巨人に入団したいとの意向。結果、その「新しい風」は巨人に入ることになる。藤田新監督のもと、原の入団というニュースは新たな巨人が生まれるのではないかといっそう感じさせてくれるものだった。でも、もし原が大洋に入団していたらどうなったのだろうか?。ダイヤモンドを引っかき回したスーパーカートリオ、続々と生まれた良質外国人助っ人、独特のクローズドスタンスの大砲田代、これらに原が加わっていたら随分と大洋という球団は変わったのではないかと、今にして思う。

 我が家では讀賣新聞と報知新聞を購読していた。原の入団に合わせて随分と「原特集」が組まれたのをよく覚えている。毎年購読者に配られる「巨人グッズ」も原の何かだった(確か下敷きやタオルなどがあった)と思う。「3歳から野球を始める」「生まれた時の体重は3300g」などというプロフィールも何度となく見た。又、自分は小学館の学習雑誌(『小学○年生』ってやつ)を愛読していた。そこでも随分と特集が組まれ、後の話になるのだが優勝したのに合わせて、原や1981年の巨人の実録まんがのようなものも掲載されたと思う。おそらく、それ以外の普通の雑誌などでも相当な取り上げられようだったのではないだろうか。時代はまだまだ巨人だった。

スポンサーサイト

私はもっと「サード・中畑」が見たかった (2)

 原はセカンドに入った。この年の巨人は確かに初々しかった。1番センター松本、2番ショート河埜。この打順が出来るまでは河埜が1番に入っていて、それなりに機能はしていたが特別に足が速いということもなく「そつのない」1番打者だった。その印象からだろうか、新たな1番打者、松本の存在が相当に光ることになった。個人的には盗塁もそうだが、左打席でのセーフティバントが印象に残ってる。その他にも元気モノ中畑や、2年目の静かな頼れる助っ人ホワイトが順調に機能している中、今一つ元気がなかったのが原だった。

 大卒の1年目で使われていたという事を考えると、まずまず仕事はこなしていたとは思うのだが当時のプロ野球の情報といえばまだまだ巨人が今以上に大半を占めた時代で、その情報の種類とて少なかった。イヤでも注目され、そしてそのルックスの良さがより期待をかけられたという面もあったのではなかろうか。他の選手が無難に仕事をこなす中、セカンドの原は沈んでいた。
 
 彼のポジションは基本的にサードであってセカンドはあまりこなしたことがなかった。しかし、巨人のサードは高田に代わりおととしくらいから中畑ががっちり居座っていた。この中畑の守備がいい。地味目の高田のキャラクターと正反対のピカピカ光る「サード・中畑」というのは、実はこれこそ新たなジャイアンツの一象徴だった。ちなみに中畑がプロ入り前からあこがれていたのは「サード・長嶋」だった。

 原がサードに行ったら中畑はどこをやればいいんだ?。かといって「逸材」の原を控えにしておくわけにもいかない。とりあえず「セカンド」を守ることになった・・・というのが実際であったろうと思う。もちろんキャンプ中に練習をし、ひととおりこなせるようにはなったのだが、守備範囲はお世辞にも広いとはいえず(これは後に分かることになる)エラーも結構あったように思う。あるいは、実際は大した事のないエラー数で、「巨人ゆえに、原ゆえにひとつのエラーが注目されていた」だけなのかもしれない。

 そんな中、サードの中畑がケガをした。長い間戦列を離れることとなった。これで原がサードに入ることになり、セカンドにはベンチで原に守備のアドバイスを送っていた「本職」の篠塚が入ることになった。篠塚は前年からもちょくちょく出場していて、そのときから打撃では美しいスイングを見せていた。自分は母親に聞いた記憶がある。「あの、左の・・あの人・・・いいんだけど・・出ないのかな?」といった聞きかただったと思う。背番号も名前も分からない、イメージだけしかない選手のことを小学校低学年で他人に伝えるのは至難の業だった。その選手はまさに篠塚だったのだ。

 このコンバートがコレ以上ないくらいにはまった。原は躍り始めた。セカンドの時には「全く」見られなかった「跳ねるタツノリ」がそこにはいた。ゴロを捕球し、大きく胸を張り全力で一塁に遠投する姿は実に画になった。中畑のサードに見慣れた巨人ファンにとっては実に新鮮な姿だった。又、それは「背番号8」がサードに戻ってきた瞬間でもあった。高田は後年サードを守り晩年は中畑に譲ったものの、背番号8がサードにあるというその画は少しではあるが巨人ファンにとってノスタルジーを感じさせるものであった。原はポイントとなるところで好フィールディングを続出させたように思う。そして、原のサードを決定づけたようなプレーがあった。ファール気味に3塁線上に飛んだライナーを絶妙のタイミングで大きく横っ飛びしてダイビングキャッチを決めたのだ。翌日のすべてのスポーツ新聞で原のダイビングキャッチの写真が大きく掲載された。


私はもっと「サード・中畑」が見たかった (3)

 そして3番バッター、セカンド・篠塚も「最高」だった。原のセカンドは沈んでいた。原には悪いがその対照もあって、よけいに「本職」篠塚のフィールディングやグラブさばきはコレ以上ないくらいに光った(守備範囲の違いもここで分かる事になる)。篠塚は結局このままレギュラーに定着することになる。翌年以降のジャイアンツグッズ等に篠塚の写真はしばしば使われるようになり、その中で自分が印象に残ってるのが篠塚のダブルプレーの時のジャンピングスローの姿だ。ランナーがスライディングでセカンドをつぶしにかかるのだが、篠塚はそんなことモノともせず、ベースを左足で蹴り、上にポーンと跳ねて一塁に正確なスローイングをするのだ。このときをとらえた写真が実にアクロバティックな姿で、「どうしてこんな体の形になるんだ?」と、当時同じようにジャイアンツのカレンダー(新聞屋さんからもらった)に載ってた、右足が大きく跳ねあがってる定岡の写真とともに自分は見入ってた記憶がある。余談だが80年代前半、頭角を「ようやく」現した定岡のスライダーは切れていた。正直、バラエティで彼の「全盛期をも」茶化す傾向があるのを、自分は笑えない。

 原、篠塚は打撃でも好調だった。とくに篠塚の広角バッターぶりは「なんでいままで使わなかったんだ?」と思わせるくらいだった。「サード原、セカンド篠塚」がすっかり定着した頃、中畑のケガが癒え、「中畑はどこに入る?」などという話があちこちに出始めてきた。原がケガの間サードに入っていたとはいえ、それまでのサードといえば中畑。ところが原のあの「躍動」を考えるともう中畑がサードに入ることは考えられなかった。「ファーストか?あるいは外野か?」そんな憶測が飛び、まもなく中畑はファーストの練習を始めることとなる。

 前年までファーストは王が守っていた。翌年からファーストに主についたのが山本功児だった。体が大きく、左投げで守備も悪くない。打撃を含めた総合面を見たとき王と比較するのは可哀想すぎるが、内野から送られてくる球を自分の大きな体を的にしてファーストミットで受けとめる姿は実に画になっていたと思う。個人的にはファーストは左投げの選手に守ってもらいたい。なんとなくだが、そのほうが美しいと自分は感じる。内野に一人左という「異」が混じることでダイヤモンドが美しくなると今でも思う。さて、その山本だが打撃面で見たとき実力では十分に「1軍のレギュラークラス」を有していたと思われるのだが中畑と比較すると山本のほうが劣った。そしてキャラクターが中畑のほうが明るかった。残念ながら山本が控えにまわり、新たに「ファースト・中畑」が誕生することになる。

 さて、その「ファースト・中畑」なのだが、自分は今でもいまいち違和感を感じるっていうのが正直なところだ。今、中畑はマスターズリーグにたまに出たり、芸能人チームなどとの草野球でプレーをしているところがたまにテレビで映されるが、たいていそのとき中畑が守るのはサードだ。違和感は最後まで中畑自身が強く感じていたのではなかろうか。
 中畑は股関節が固かったように思う。一方山本は大きい体と長い手足をいっぱいに伸ばして送球を受けていたと思う。ぎりぎりのタイミングのときファーストは大きく両足を前後に開脚し体を前にいっぱいに伸ばし少しでも早く球を受けようとする。これは半分は審判へのアピール的要素があると思う。山本はこれがあったが中畑はやらなかった。むしろ、ベースが足から離れるのが早かったように思う。スローで確認したことはないが、大体のタイミングで送球を受け、ばっと足を離す、そんなプレーだったように思う。これが「中畑のファースト」だった。



私はもっと「サード・中畑」が見たかった (4)

 ところで足を前後に開脚し、体をいっぱいに伸ばしてのキャッチは最近あまり見られなくなった。外国人助っ人が一塁に回ることが多くなったこともあるだろうか?。でも、日本人選手でもずいぶん見かけなくなったような気がする。自分はあれにあこがれ、脚の前後のストレッチを結構やった。おかげで、今でも「左足前の前後の開脚」のほうが大きく開くことが出来る。自分はロッテファンなのだが、きわどいタイミングでもファーストの福浦が体を伸ばすこともなくそっけなくキャッチするのは非常に残念だといつも感じる。対して体を伸ばす選手は誰がいるかといえば、(あくまで私が知る限り、思いつくまま書くのみだが)日ハムのセギノールとかファーストを守るときの広島の新井とか、以前ヤクルト、巨人にいたペタジーニあたりか。


 1981年、新生藤田巨人は優勝する。前述のように原、河埜、篠塚、中畑の内野陣が見事に定着し始め、キャッチャーは吉田から山倉がマスクをかぶることが多くなる。助っ人はトマソンが「扇風機」とあだ名されるほど後期はひどいものだったが、ホワイトが「壁際の魔術師」などと呼ばれるように攻守ともに巨人の顔になった。何よりもピッチャー陣が好調だった。一番の象徴は江川。試合のポイントとなるところでHRを浴びる「一発病」はこの頃から片鱗を見せていたが、そんなもの20勝6敗のこの年はまだまだカワイイものだった。後にHRを打たれる球数に合わせて「100球肩」とも呼ばれることになるが、この頃はまだまだ中4日とか5日でローテーションをまわしていた時代である。今考えればこのローテーションなら100球で降ろすっていう使われ方が一番良かったであろうと思える。酷な時代だったとも言える。他に西本、そして定岡がローテーション入りした。そして実はここには、今でも名前があまり挙がることがないのだが、加藤初がしっかりとローテーション入りしていた。そして抑えでは角が台頭した。角が抑えで活躍した期間というのは実はあまり長くないのだが(今みたいに1イニング限定で投げていればもっと寿命は伸びたと思うが)、この年に限っては誰も打てなかったといっていい。


私はもっと「サード・中畑」が見たかった (5)

 中畑は1989年に引退するまで結局ほとんどファーストを守ることになる。それでも原がケガした時などは中畑がサードに回るなんてことは多々あった。そんなとき実況、解説でもしばしば「やはりサードで
の中畑は生き生きしてますねえ」などと言っていたように思う。原のサードに慣れたころ、中畑のサードというのは、又、新鮮に映った。「やっぱりこれだよなあ」って思ったものだ。原はスローイング時のステップ等で少しムダな動きが多い選手だった。もちろんそれは時間的余裕があるがゆえ許される動きではあるのだが、たとえば毎年ゴールデングラブ賞をとっていた掛布のそれと比較するとその動きは冗長とさえ感じられることもあった。中畑は躍動感では原には劣るものの、それはあまりムダなステップがないからだとも言え、オーバースロー気味の原のスローイングと違ってスナップスロー気味の中畑のそれは、又、「かっこよかった」。

 中畑の捕球の仕方はぐいっと体の近くに引き寄せる方法だと思う。これは彼があこがれていたという長嶋のやり方に近いのではないか。体の前で捕球するやり方と違って、体の近く、胴体の真下近くまで球を引き寄せなおかつそれを目で追えば顔は自分の体のほうに向ける。キャッチャー方向からこのサードの選手を見ると、頭頂部に加え、後頭部まで少し見えるのだ。長嶋の写真で随分そんなものを見かけることが出来ると思う。このような特徴に加え、原と比べると大きなスタンスでやや外股でサードの守備をこなす中畑のサードに自分は妙な泥臭さというか親しみを感じていた。

 江川がカーブと速球で相手バッターを3人でしめ、松本のセーフティバントで始まる80年代前半の巨人の野球は楽しかった。そしてそれは原がサードに入り、篠塚がセカンドに入り、中畑がファーストにまわり、山本が控えにまわることで生まれたといっても過言ではない。しかし、それ以降たまに見る中畑のサードの守備は自分から言わせれば「ファーストの比ではなかった」。自分はもっと「サード・中畑」が見たかった。(完)


クイズです。この人は誰でしょう?

クイズっていってもインターネットの時代、検索かければすぐ出てきますわな。まあ、知らない人は検索かけてヒットした名前を見て大いに驚いて(別に驚かないかもしれないけど)くださいまし。正直、ぼかぁ、ちょっと驚いた。驚いたというか、なんか感心したような気持ちでした。

さ、クイズです。次のデータにあてはまる人は誰でしょう。

・16年の現役生活
・1137安打 59HR .279
・打撃ベストテン入り5回
・65勝94敗(負け数が多いが、所属チームが弱かった)
・防御率ベストテン入り1回
・16年のうち、投手時代が約7年。残りを打者として過ごす。
・オールスター出場5回

・身長173cmほど。

さぁ?誰だ。かなりの成績をあげてるこの選手はだぁ?れだ?

ファイティ君が、なんと2005年限りで引退!なんでだぁ?!

日本ハムといえば昨年フランチャイズの移動とともに球団のマスコットも変わった。日本ハムの今のところの方針として東京ドームも第二フランチャイズの位置付けとして(確か)年間15試合ほどをホームゲームとして行うことにしている。それまでのマスコット、ファイティも東京ドーム限定マスコットとして生き残ることになった。現マスコット、B・Bも来るので、東京ドームではWマスコットという形なのだ。この光景がなんともいえずよろすぃ。私は12球団のマスコットの中でこのファイティ君が一番好きなのである。なんともトボケタ雰囲気でかわいい。

実際昨年はグランドに二つのマスコットの姿があった。パリーグでは勝利者インタビューが終わるとお立ち台の選手はマスコットとともにファンに向かって外野スタンド(ライト・一塁側。札幌ドームは逆)に挨拶しにいくのが恒例だ。去年、東京ドームでは選手とともにスリムな姿のB・Bがライトスタンド方面に走っていく一方で、そこから少し離れたところでまん丸とした姿のファイティがのっそりのっそり歩いていくという理屈ぬきでかわいい光景がそこにあった。テレビの前で楽しんだもんだ。

去年は東京ドームには足を運ぶ機会がなく、今年はファイティを久々に見たいし、行きたいなあと思っていた。こないだたまたま日ハムと楽天の試合in東京ドームをテレビで見た。「あぁ、早くも東京ドームシリーズかぁ」などと思いながら、ファイティ君を探す。試合は日ハムが勝ち昨年と同じ光景を楽しもうとテレビを見ているとファイティ君がグランドにいないではないか!スタンドとかでウロウロしている(ファイターズファンにはおなじみの)ファイティ君はたまに画面に映るものの、前輪が大きくて後輪が小さくてピンクのフレームのユニークな自転車を人工芝の上でシコシコこいでいるかわいいファイティ君の姿がぬぁあいではないか!

で、調べてみたらなんとファイティ君は今季限りだという。今季もグランドに降りることはないのだそうだ。スタンドとかにウロウロしているのみ(これもいいのだが♪)。なんでも北海道の球団としてのイメージを根付かせたいからとの事。でもなぁ、納得できないなあ。なんでダブルマスコットじゃいけないの?って事だ。しかも東京のときくらいファイティ君がいたっていいじゃん!。ファイティ君がいたって北海道の球団としてのマイナス面はなかろうに!。

実際東京ドームでのB・Bの存在も光ってる。目立つ。バク転だってする。もう十分「北海道日本ハムファイターズ」のマスコットとして根付いていると思う(それでも私はファイティのほうが好きだが。笑)。

ファイティを消えるのを惜しむ声は多い。スタンドでは「WE LOVE FIGHTY」のプラカードもあった。今シーズンの東京ドームでの最終試合ではファイティ君の引退セレモニーまで用意しているという。つまり球団はファイティ君の人気も熟知しているのだ。それなのに、ファイティ君を消すという。北海道球団のイメージをB・Bで根付かせたいという。これって・・・・・
B・Bよりもファイティ君のほうがカワイイから?。それに球団は気付いて消しにかかりにいってるんじゃないかなあ・・・。そんな気がしてならない。ダブルマスコットでいいじゃんか!なんとかならないのかなあ・・・

ファイティに詳しいサイト→ファイティーファンクラブ

デジカメでバッティングフォームを撮影する。2年前と今の違い。

20050422203859s.jpg

今日仕事が休みだったので、今のバッティングフォームにしてから初めてデジカメでフォームを撮影した。撮影して初めて分かることというのは多くて、やはり「外部からの目」というのは大事だなと思う。現状では今のフォームは納得しているのだが、撮影したフォームを改めて見ると思っていたのと違うところ、思い通りのところ、それぞれあった。もうちょっと「かっこいい」フォームだと思っていたので、ちょっとガッカリ(笑)。

連続写真はまた今度にアップする予定。今回はテーマを「テークバック、トップでの体の入り」というのにしぼって話をすすめたいと思う。アップしたのは今日撮影した動画の中の1枚と過去のフォームの2枚。

左側2枚の写真はそれぞれデジカメで初めて撮影した頃(2003年11月頃)のフォームの、「トップから割れに入るとき」の1枚。初めて自分のフォームを見たときは「なんかかっこわるいなあ」というもの(笑)。ピッチングフォームも撮影したのだがこれは常々、日の影とか鏡とかで見ていたからほぼ予想通りだったのに反して、バッティングフォームのほうはあまり鏡とか影とかで確認をしていなかったせいか、自分が頭に思い描いていた姿と大いに違って、あまりいい気分でなかった(笑)。

これらのフォームは当時の2ちゃんねるのスレッド内でアップした。その中の指摘でようやく「トップで体が入りすぎてる(回りすぎてる)」ということを知る。そんなこと考えたこともなかった。知らなかった。

テークバックでバット、グリップをぐい?って引くにあたり、キャッチャー方向に引く分にはいくら引いても構わないと思う。落合(博満)氏は「できるだけ深く」と言っている(ちなみに私は打撃の理論はほぼ完全に落合派。あしからず)。ただ、これを体の後ろ(サードダッグアウト方向)まで回しこむのは良くない。背中をピッチャーに見せる打ち方とも言えるか。ロッテのイ・スンヨプが散々周りから指摘されてたのはこのあたり。現実にやっぱりバットが遠回りになるし、内角につまりやすいスイングになる。これを克服するとなると腕や体の使いかたをもっと大きく使わないといけないということになる。いずれにしても無駄が多くなるということ。立波、今のイチローのフォームは背中の背番号がピッチャー方向に向くような感じにはなるが、グリップが「後ろに回りこんで」はいないと思う。

今日撮影したのが右の1枚。左の2枚に比べると随分マシにはなってはいるが、ま?だ、「入り過ぎてる」と思う。体をぐいって入れすぎると顔の向きもそれにつられやすくなる。これを克服するにはいくつかあるが、「両目でしっかりと見る。顔を正面にしっかり向ける」って確認を何度も何度もする必要があるようだ。

足の上げかたでもそれは多少修正できる。それについてはまた次回。

放たれたボールは右打者の背中に突き刺さる(笑)。私のアンダースローの連続写真です。

20050421220303s.jpg

これは正確には私が普段投げてるフォームではないです。バックスイングはもっと大きいしリリースポイントもこんなに低くはないです。渡辺俊介のイメージでシャドーをしてみたのを撮影した次第。でも投げ方の理屈というか、その基本的なところ、感覚は普段投げてるものと一緒。ただ「シュンスケっぽく投げよう」ってなもの。


リリースポイント、高低に違いはあれど、前後ということでいえば多分一緒だと思う。ここで前回アップしたアンダースローの写真の中にあるシュンスケ(ロッテファンは親しみを込めてこう呼ぶ)、山田久志氏のフォームと、今回アップした中段の右から2枚目のフォームを見比べて欲しい。私のは一言で言えば前に体重が乗ってない。体の前傾が弱いとも言える。この前傾の弱さが右打者の背中めがけて球が走っていく結果となる(笑)。

シュンスケは投げるときに腹筋の意識が強いそうだ。かなりキツイらしい。でも私はそんな意識なし(笑)。それがいかんのかな?。投げ終わって風呂入ってときとか翌日とかに「デデデデデ」ってなるくらい。

でも体の前傾が弱いからといってそれを無理に筋力(上体の筋力で無理に前傾しようとする)で補おうとするのは違うと思う。体の動かし方には順序があり、その適切な位置取りで理想の動かし方を目指すのが本当だと思う。例えばダッシュをかけるとき、走り始めはかなりの前傾になる。けれどもこれを無視して前傾をしないで脚力のみで最高速に達せようとしても意味がない。重力を利用して、重心を上手に前方に移動するべく体を大きく前傾するということだ。

ピッチングもそんな感じだと思う。

でも、今回アップした「俊介ばりを目指したフォーム」、球の位置といい、グラブの使いかたといい、一瞬見る分には結構楽しめると思うけど、いかが?(笑)。

オーバースローで投げようがアンダースローで投げようが・・・

annda---_060s.jpg


※ タイトル文と文中の語句に誤りがあったので修正。「アンダーすロー→アンダースロー」「顔から上をまずアンダースローになるように傾けた画像を作る→腰から上」・・・もう、ひどいなぁ・・。

投げ方の基本はいっしょ。肩の使い方だっていっしょ。ただ、体の傾きが変わるに過ぎない。PCのペイント機能を駆使してこんなファイルを作ってみました。

一番左の写真が江川氏の現役時のフォーム。これをコピーして、腰から下を切って、腰から上をまずアンダースローになるように傾けた画像を作る。で、顔、首をアンダースローを投げてるような角度に傾けて、基本の画像は完成。あとは色を塗るなどして、体の形を補って出来た画像がすぐ右隣のもの。つまり、肩関節の周囲、その角度はまったくいじってないのです。オーバースロー、つまり元の画像といっしょってわけです。

強引につくった画像なので見づらいと思います。多少みやすくするように色は塗ったのですが、それでも見づらい面があると思うので目を細めるなどして補ってください。でも、分かるでしょ?アンダースローっぽいフォームになってるでしょ?参考として、新旧アンダースローピッチャーとして、渡辺俊介氏と山田久志氏のフォームをいっしょにのっけてみました。

こうしてみると驚くほど両肩のラインと投げてる腕がつくる角度っていっしょですねえ。渡辺俊介の画像は多少撮影の角度が違うと思うのでそれを差し引いてみてくださいまし。

でもこの渡辺俊介のリリースポイントは見るべきものがあると思う。それは低さじゃなくて、前で球を離してるという点。

腰を痛めたスイング、その素振りの連続写真です。

1234_099s.jpg

※ クリックしても小さい写真でしたが、大きな状態で見られるようになりました。

この頃にあった意識ってのは、後ろ足の前面(青線のところ)を一塁側に向ける意識を強く持つ事。もちろんスイングしていく中で体全体を含め後ろの脚も自然に回転するものなのだが、後ろの足(太もも)前面が早々にピッチャー方向に向かないということを意識しておけば、体が早く開くことは防げる、という考えです。

これは確かにそうなのだが、ちょっとその意識を過剰に持ちすぎた。加えて後ろ足の拇指球でくるって回る意識が希薄だったから、スイングが進行していく中でも後ろの脚部全体が回っていかない。黄色線で囲んでるところを見れば分かるが地面に対して粘りすぎ。かかとが上がってない。単純に「クイッ」て、かかとを上げる感覚さえ持てれば脚部も含め自然に体が回るんですけどねぇ。

写真の後半部分ではもっと後ろ足のかかとは「素直に」上がってないといけないし、青線の部分ももっと「素直に」ピッチャー方向に向いていないといけない。おかげで、まぁ、窮屈なフォロースルーだこと!。

この素振りはほぼ全力。↑の理屈通りにやってるおかげで上半身は可能な限り回転しようとする反面、下半身は止めにかかってる。もちろん、適切な方法で下半身を止めるというのは大事なんだけれども(ツイスト理論とかそういう理念)、これはマチガイだった。よって腰のところにある赤線の部分に集中的に「ねじれの負荷」がかかったようだ。

素振りの最中はまるで気がつかなかったが翌日以降に大分腰に傷みが出てきた。それまで腰痛の経験はまるでなし。むしろぎっくり腰等に気をつけてたくらいなので(例えば今も昔もモノを拾う時とか慎重)まさか自分が腰痛で苦しむとは思いもよらなかった。

これは約1年前のスイング。今はこの反省のもと、もっとラクぅに理屈に合う(そしてボールに当てやすい!)、体を傷めないスイングをしてます。腰は傷みは今はないですけど、以前と比べると大分疲れがたまりやすくなりました。いずれ今のスイングもアップします。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。