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しぃせんたけだ

  • Author:しぃせんたけだ
  • 1974年生まれ。163cm、63kg。現在草野球を時折やっております。ポジションはピッチャーか内野。学生時代などに部活等でチームに入っての野球経験はありません。プロ野球は千葉ロッテファン。次いでホー



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私はもっと「サード・中畑」が見たかった (1)

 私はもっと「サード・中畑」が見たかった・・・。
 
 1981年のシーズン、それは新しい時代が来るんだと、予感をせずにはいられない年だったように思える。前年限りで王、高田が引退、そして長嶋監督が解任。V9戦士は、柴田や堀内等、若手では河埜などまだいるにはいたが、ONの退き(王は翌年から助監督になるが)は、我々に否応無しに時代の変革を感じさせた。

 1980年のドラフト会議。話題はプリンスホテルの好選手石毛と、東海大の「アイドル」原辰徳。石毛は半ばレールに乗った形で西武に入団。話題の焦点は原だった。原自身は地元の大洋か、巨人に入団したいとの意向。結果、その「新しい風」は巨人に入ることになる。藤田新監督のもと、原の入団というニュースは新たな巨人が生まれるのではないかといっそう感じさせてくれるものだった。でも、もし原が大洋に入団していたらどうなったのだろうか?。ダイヤモンドを引っかき回したスーパーカートリオ、続々と生まれた良質外国人助っ人、独特のクローズドスタンスの大砲田代、これらに原が加わっていたら随分と大洋という球団は変わったのではないかと、今にして思う。

 我が家では讀賣新聞と報知新聞を購読していた。原の入団に合わせて随分と「原特集」が組まれたのをよく覚えている。毎年購読者に配られる「巨人グッズ」も原の何かだった(確か下敷きやタオルなどがあった)と思う。「3歳から野球を始める」「生まれた時の体重は3300g」などというプロフィールも何度となく見た。又、自分は小学館の学習雑誌(『小学○年生』ってやつ)を愛読していた。そこでも随分と特集が組まれ、後の話になるのだが優勝したのに合わせて、原や1981年の巨人の実録まんがのようなものも掲載されたと思う。おそらく、それ以外の普通の雑誌などでも相当な取り上げられようだったのではないだろうか。時代はまだまだ巨人だった。

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私はもっと「サード・中畑」が見たかった (2)

 原はセカンドに入った。この年の巨人は確かに初々しかった。1番センター松本、2番ショート河埜。この打順が出来るまでは河埜が1番に入っていて、それなりに機能はしていたが特別に足が速いということもなく「そつのない」1番打者だった。その印象からだろうか、新たな1番打者、松本の存在が相当に光ることになった。個人的には盗塁もそうだが、左打席でのセーフティバントが印象に残ってる。その他にも元気モノ中畑や、2年目の静かな頼れる助っ人ホワイトが順調に機能している中、今一つ元気がなかったのが原だった。

 大卒の1年目で使われていたという事を考えると、まずまず仕事はこなしていたとは思うのだが当時のプロ野球の情報といえばまだまだ巨人が今以上に大半を占めた時代で、その情報の種類とて少なかった。イヤでも注目され、そしてそのルックスの良さがより期待をかけられたという面もあったのではなかろうか。他の選手が無難に仕事をこなす中、セカンドの原は沈んでいた。
 
 彼のポジションは基本的にサードであってセカンドはあまりこなしたことがなかった。しかし、巨人のサードは高田に代わりおととしくらいから中畑ががっちり居座っていた。この中畑の守備がいい。地味目の高田のキャラクターと正反対のピカピカ光る「サード・中畑」というのは、実はこれこそ新たなジャイアンツの一象徴だった。ちなみに中畑がプロ入り前からあこがれていたのは「サード・長嶋」だった。

 原がサードに行ったら中畑はどこをやればいいんだ?。かといって「逸材」の原を控えにしておくわけにもいかない。とりあえず「セカンド」を守ることになった・・・というのが実際であったろうと思う。もちろんキャンプ中に練習をし、ひととおりこなせるようにはなったのだが、守備範囲はお世辞にも広いとはいえず(これは後に分かることになる)エラーも結構あったように思う。あるいは、実際は大した事のないエラー数で、「巨人ゆえに、原ゆえにひとつのエラーが注目されていた」だけなのかもしれない。

 そんな中、サードの中畑がケガをした。長い間戦列を離れることとなった。これで原がサードに入ることになり、セカンドにはベンチで原に守備のアドバイスを送っていた「本職」の篠塚が入ることになった。篠塚は前年からもちょくちょく出場していて、そのときから打撃では美しいスイングを見せていた。自分は母親に聞いた記憶がある。「あの、左の・・あの人・・・いいんだけど・・出ないのかな?」といった聞きかただったと思う。背番号も名前も分からない、イメージだけしかない選手のことを小学校低学年で他人に伝えるのは至難の業だった。その選手はまさに篠塚だったのだ。

 このコンバートがコレ以上ないくらいにはまった。原は躍り始めた。セカンドの時には「全く」見られなかった「跳ねるタツノリ」がそこにはいた。ゴロを捕球し、大きく胸を張り全力で一塁に遠投する姿は実に画になった。中畑のサードに見慣れた巨人ファンにとっては実に新鮮な姿だった。又、それは「背番号8」がサードに戻ってきた瞬間でもあった。高田は後年サードを守り晩年は中畑に譲ったものの、背番号8がサードにあるというその画は少しではあるが巨人ファンにとってノスタルジーを感じさせるものであった。原はポイントとなるところで好フィールディングを続出させたように思う。そして、原のサードを決定づけたようなプレーがあった。ファール気味に3塁線上に飛んだライナーを絶妙のタイミングで大きく横っ飛びしてダイビングキャッチを決めたのだ。翌日のすべてのスポーツ新聞で原のダイビングキャッチの写真が大きく掲載された。


私はもっと「サード・中畑」が見たかった (3)

 そして3番バッター、セカンド・篠塚も「最高」だった。原のセカンドは沈んでいた。原には悪いがその対照もあって、よけいに「本職」篠塚のフィールディングやグラブさばきはコレ以上ないくらいに光った(守備範囲の違いもここで分かる事になる)。篠塚は結局このままレギュラーに定着することになる。翌年以降のジャイアンツグッズ等に篠塚の写真はしばしば使われるようになり、その中で自分が印象に残ってるのが篠塚のダブルプレーの時のジャンピングスローの姿だ。ランナーがスライディングでセカンドをつぶしにかかるのだが、篠塚はそんなことモノともせず、ベースを左足で蹴り、上にポーンと跳ねて一塁に正確なスローイングをするのだ。このときをとらえた写真が実にアクロバティックな姿で、「どうしてこんな体の形になるんだ?」と、当時同じようにジャイアンツのカレンダー(新聞屋さんからもらった)に載ってた、右足が大きく跳ねあがってる定岡の写真とともに自分は見入ってた記憶がある。余談だが80年代前半、頭角を「ようやく」現した定岡のスライダーは切れていた。正直、バラエティで彼の「全盛期をも」茶化す傾向があるのを、自分は笑えない。

 原、篠塚は打撃でも好調だった。とくに篠塚の広角バッターぶりは「なんでいままで使わなかったんだ?」と思わせるくらいだった。「サード原、セカンド篠塚」がすっかり定着した頃、中畑のケガが癒え、「中畑はどこに入る?」などという話があちこちに出始めてきた。原がケガの間サードに入っていたとはいえ、それまでのサードといえば中畑。ところが原のあの「躍動」を考えるともう中畑がサードに入ることは考えられなかった。「ファーストか?あるいは外野か?」そんな憶測が飛び、まもなく中畑はファーストの練習を始めることとなる。

 前年までファーストは王が守っていた。翌年からファーストに主についたのが山本功児だった。体が大きく、左投げで守備も悪くない。打撃を含めた総合面を見たとき王と比較するのは可哀想すぎるが、内野から送られてくる球を自分の大きな体を的にしてファーストミットで受けとめる姿は実に画になっていたと思う。個人的にはファーストは左投げの選手に守ってもらいたい。なんとなくだが、そのほうが美しいと自分は感じる。内野に一人左という「異」が混じることでダイヤモンドが美しくなると今でも思う。さて、その山本だが打撃面で見たとき実力では十分に「1軍のレギュラークラス」を有していたと思われるのだが中畑と比較すると山本のほうが劣った。そしてキャラクターが中畑のほうが明るかった。残念ながら山本が控えにまわり、新たに「ファースト・中畑」が誕生することになる。

 さて、その「ファースト・中畑」なのだが、自分は今でもいまいち違和感を感じるっていうのが正直なところだ。今、中畑はマスターズリーグにたまに出たり、芸能人チームなどとの草野球でプレーをしているところがたまにテレビで映されるが、たいていそのとき中畑が守るのはサードだ。違和感は最後まで中畑自身が強く感じていたのではなかろうか。
 中畑は股関節が固かったように思う。一方山本は大きい体と長い手足をいっぱいに伸ばして送球を受けていたと思う。ぎりぎりのタイミングのときファーストは大きく両足を前後に開脚し体を前にいっぱいに伸ばし少しでも早く球を受けようとする。これは半分は審判へのアピール的要素があると思う。山本はこれがあったが中畑はやらなかった。むしろ、ベースが足から離れるのが早かったように思う。スローで確認したことはないが、大体のタイミングで送球を受け、ばっと足を離す、そんなプレーだったように思う。これが「中畑のファースト」だった。



私はもっと「サード・中畑」が見たかった (4)

 ところで足を前後に開脚し、体をいっぱいに伸ばしてのキャッチは最近あまり見られなくなった。外国人助っ人が一塁に回ることが多くなったこともあるだろうか?。でも、日本人選手でもずいぶん見かけなくなったような気がする。自分はあれにあこがれ、脚の前後のストレッチを結構やった。おかげで、今でも「左足前の前後の開脚」のほうが大きく開くことが出来る。自分はロッテファンなのだが、きわどいタイミングでもファーストの福浦が体を伸ばすこともなくそっけなくキャッチするのは非常に残念だといつも感じる。対して体を伸ばす選手は誰がいるかといえば、(あくまで私が知る限り、思いつくまま書くのみだが)日ハムのセギノールとかファーストを守るときの広島の新井とか、以前ヤクルト、巨人にいたペタジーニあたりか。


 1981年、新生藤田巨人は優勝する。前述のように原、河埜、篠塚、中畑の内野陣が見事に定着し始め、キャッチャーは吉田から山倉がマスクをかぶることが多くなる。助っ人はトマソンが「扇風機」とあだ名されるほど後期はひどいものだったが、ホワイトが「壁際の魔術師」などと呼ばれるように攻守ともに巨人の顔になった。何よりもピッチャー陣が好調だった。一番の象徴は江川。試合のポイントとなるところでHRを浴びる「一発病」はこの頃から片鱗を見せていたが、そんなもの20勝6敗のこの年はまだまだカワイイものだった。後にHRを打たれる球数に合わせて「100球肩」とも呼ばれることになるが、この頃はまだまだ中4日とか5日でローテーションをまわしていた時代である。今考えればこのローテーションなら100球で降ろすっていう使われ方が一番良かったであろうと思える。酷な時代だったとも言える。他に西本、そして定岡がローテーション入りした。そして実はここには、今でも名前があまり挙がることがないのだが、加藤初がしっかりとローテーション入りしていた。そして抑えでは角が台頭した。角が抑えで活躍した期間というのは実はあまり長くないのだが(今みたいに1イニング限定で投げていればもっと寿命は伸びたと思うが)、この年に限っては誰も打てなかったといっていい。


私はもっと「サード・中畑」が見たかった (5)

 中畑は1989年に引退するまで結局ほとんどファーストを守ることになる。それでも原がケガした時などは中畑がサードに回るなんてことは多々あった。そんなとき実況、解説でもしばしば「やはりサードで
の中畑は生き生きしてますねえ」などと言っていたように思う。原のサードに慣れたころ、中畑のサードというのは、又、新鮮に映った。「やっぱりこれだよなあ」って思ったものだ。原はスローイング時のステップ等で少しムダな動きが多い選手だった。もちろんそれは時間的余裕があるがゆえ許される動きではあるのだが、たとえば毎年ゴールデングラブ賞をとっていた掛布のそれと比較するとその動きは冗長とさえ感じられることもあった。中畑は躍動感では原には劣るものの、それはあまりムダなステップがないからだとも言え、オーバースロー気味の原のスローイングと違ってスナップスロー気味の中畑のそれは、又、「かっこよかった」。

 中畑の捕球の仕方はぐいっと体の近くに引き寄せる方法だと思う。これは彼があこがれていたという長嶋のやり方に近いのではないか。体の前で捕球するやり方と違って、体の近く、胴体の真下近くまで球を引き寄せなおかつそれを目で追えば顔は自分の体のほうに向ける。キャッチャー方向からこのサードの選手を見ると、頭頂部に加え、後頭部まで少し見えるのだ。長嶋の写真で随分そんなものを見かけることが出来ると思う。このような特徴に加え、原と比べると大きなスタンスでやや外股でサードの守備をこなす中畑のサードに自分は妙な泥臭さというか親しみを感じていた。

 江川がカーブと速球で相手バッターを3人でしめ、松本のセーフティバントで始まる80年代前半の巨人の野球は楽しかった。そしてそれは原がサードに入り、篠塚がセカンドに入り、中畑がファーストにまわり、山本が控えにまわることで生まれたといっても過言ではない。しかし、それ以降たまに見る中畑のサードの守備は自分から言わせれば「ファーストの比ではなかった」。自分はもっと「サード・中畑」が見たかった。(完)




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